TVKテレビの新車情報を斬る!

三本さんと三清さんの新車情報が大好きで長年メルマガを発行していた筆者のブログ

時代を駆ける名車~トヨタ・クラウン~ Vol.100 (2000/9/1)

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TVKテレビの 「新車情報2000」を斬る!』
         Vol.100 (2000/9/1) 毎週発行
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★8月28日放映
【時代を駆ける名車~トヨタ・クラウン~】

日本を代表する名車「トヨタ・クラウン」。その歴史を振り返ります。

メンバーは先週と同じ、言わずと知れた三本和彦氏、ジャック山口ことモータージャーナリストの山口京一氏、モータージャーナリスト界の最長老、星島浩氏。そして紅一点、総合司会担当の野中美里さん。

クラウンは1955年1月に登場しました。それ以来、トヨタの中心車種であると同時に、ニッポンのリーダーシップ・カーとして君臨し続けています。

昨年の7月で累計登録台数は400万台を超えましたが、クラウンは日本でしか売られていません。三本さんもおっしゃっていたように、まさに「日本人の感性に合わせた日本人のためのクルマ」と言えます。

トヨタでは国内生産累計1億台達成を記念し、初代クラウンをモチーフにした限定車「オリジン」を11月より発売します。1000台ポッキリで確か予約は既にいっぱいだったと思います。
http://www.toyota.co.jp/News/2000/Jul/nt00_112.html

それでは、番組にならって初代から現行11代まで振り返ってみます。トヨタのホームページ内に「クラウン・ヒストリー」というページがあります。歴代のクルマ達の映像はそちらをご覧ください。
http://www.toyota.co.jp/Showroom/All_toyota_lineup/Crown/history/00/

○初代/1955年1月。
大学卒の初任給が1万円だった当時、クラウンは101.5万円でした。まさにロールス・ロイス並み。1960年には2速のオートマチックトランスミッションが登場し、値段も中身もピカイチだったと思われます。

○2代目/1962年10月。
4灯式ヘッドライトで王者の風格。X型フレームの採用。3速AT。1964年には国産初の2.6リッターV8が登場。1965年には直列6気筒が登場しました。

○3代目/1967年9月。
ペリメーターフレームを採用。私の生まれた1966年はイカー元年と呼ばれたそうですが、「白いクラウン」というキャッチコピーのもと、法人車から個人ユーザーのマイカーへとイメージを変えていった時期でもありました。それを象徴する2ドアハードトップが登場したのもこのときから。

○4代目/1971年2月。
トヨペットからトヨタ・クラウンへ車名を変更。後に2リッターエンジンにはEFI(電子制御式燃料噴射装置)が登場します。しかし先進的?なデザインがユーザーに受け入れられず、ライバルのセドリック・グロリアに首位の座を奪われたそうです。第一次オイルショックが起きたのは1973年でした。

○5代目/1974年10月。
先代の反省をふまえ4ドアハードトップが登場。この頃から排ガス規制が厳しくなり、それをクリアするため各メーカーはしのぎを削ります。1979年には第二次オイルショックが起きます。

○6代目/1979年9月。
排気量は2.8リッターへアップされ、スーパーカーの世界でしか聞いたことがなかったターボが登場します。また世界初の電子制御式4速ATも登場。1982年にはトヨタ自工とトヨタ自販が合併し、トヨタ自動車株式会社が発足。

○7代目/1983年8月。
当時の新車情報の映像が出ました。若くて痩せていた三本さんは新車情報の若大将といった感じで、中々のナイスガイ。有名な「いつかはクラウン」というキャッチフレーズが浸透したのがこの時期。豊富というより覚えきれないくらい膨大なバリエーションが印象的でした。1985年には日本で初めてスーパーチャージャーがラインナップされます。

○8代目/1987年9月。
時代はバブル絶頂期。ハイソカー・ブームも重なり、新しくなったクラウンはまさにハイソカーの頂点へ。そんなイケイケムードで?20年ぶりにV8が復活。排気量は4リッターでした。最近では若いアンちゃんがこの8代目を素材に重低音の極太マフラーを装着し、ボウボウと音を立てながら走る姿をよく目にします。

○9代目/1991年10月。
丸みを帯びたエクステリア。バブルが永遠に続くと誰もが信じて疑わなかった時期に企画・設計された豪華な仕様はちょっと違和感がありました。マジェスタが登場。四輪駆動になり、あらゆる動きをクルマが制御しようとするクルマの理想と可能性を追求。それはバブルがもたらした功績だったのかもしれません。当時のVTRで三本さんは「よくダシのとれた吸い物」と言っていました。要するに先進技術が走りを洗練させた、という意味だと思います。

○10代目/1995年8月。
デザインの流行はタマゴ型からスタイリッシュな直線基調のラインへ。マジェスタは更に進化を極め、クルマは4つの車輪を個別に制御する最先端のシステムを持つまでになります。四輪操舵で後輪も動きました。三本さんは「バックではそれが裏目に出てまっすぐ駐車できなかった」そうです。

○11代目/1999年9月。
このクラウンで21世紀へ行く現行モデル。欠点があるとしたら「運転していて眠たくなる」くらいか。

星島さんは当時、初代を保有したそうです。すごい金持ちなのでしょうか。「クラウンは日本車のモデルチェンジのあり方とお手本を示したクルマ」とおっしゃってました。

また「クラウンのオートマチックトランスミッションは世界一だと思う」とのこと。歴史を振り返れば40年にわたるノウハウが蓄積していました。

三本さんは「やっぱり憧れていたと思う。が、高かった。とてもサラリーマンが買えるようなものではなかった。仮に中古を手に入れたとしても、ガソリンを食うから維持できない代物だった」と昔から庶民派。

山口さんは「クラウンは日本でしか売ってないが、トヨタの技術を培ってきたクルマ。そういった意味で、クラウンは日本だけのものではない」。

このように歴史を勉強しますと、ニッポン人ならやっぱり「いつかはクラウン」に乗るべきかも、といった気分になってきました。

誰もが認めるクラウンの素晴らしさ。クルマは道具ですが、この道具に日本人的な余裕と贅沢が今後もあり続けるとしたら、クラウンの存在意義も絶えることはないかもしれません。

今週の妄想はバックナンバーVOL64、「トヨタ・クラウン」の中から引用します。

(妄想)学生時代の三清さんと私。私は免許を取ったばかり。しかしクルマはオヤジのカローラ。しかも休日、オヤジはカローラで泊りがけコンペ。

サザンを聴きながら湘南へ2人だけのドライブデートがしたい!これは三清さんの希望でもありました。

三清さんの家はかなり裕福でクラウンを所有。私達は夜更けに、三清パパのクラウンを盗み出します。

真夜中の海岸沿いをどこまでもクルージング。最高の気分です。そしてクルマをとめて真っ暗な砂浜へおりる私達。少しだけ月明かりに照らされた三清さんの顔が色っぽい。

帰り道を迷ってしまい、朝方、三清さんの家に到着すると、三本さんにそっくりの三清パパが、ガレージの前で物凄い顔して仁王立ちしていました。アーメン。

★次週の予定
20世紀の国産車・前半

★配信100号達成しました!
100号目にあたる今週の配信数は、4,932部でした。読者のみなさんがいるからこそ、毎週続けてこれました。そして何より番組があるからできることです。23年も前からやってる三本さんはやっぱりスゴイです。読者のみなさんと、そして番組関係者のみなさんに感謝しております。