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時代を駆ける名車~スカイラインGT-R~ Vol.152 (2001/8/31)

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 『TVKテレビの 「新車情報2001」を斬る!』
         Vol.152 (2001/8/31) 毎週発行
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★8月27日放映
【時代を駆ける名車~スカイラインGT-R~】

ゲストで招かれた櫻井眞一郎氏は、「GT-Rはスカイラインから派生したスポーツカーである。ベースはあくまでもスカイラインであり、ずっとそれを強調してきた」とのこと。

ゲストは、GT-R生みの親である櫻井眞一郎氏。スカイライン8代目にてGT-Rを復活させた渡辺衡三氏。

そしてお馴染みモータージャーナリストの星島浩氏。ツッコミは神話級、モータージャーナリストの三本和彦氏。GT-Rの助手席が似合いそうなアシスタントの野中美里さん。

日産オフィシャルサイトの中に「日産ミュージアム」というページがあり、歴代スカイラインの歴史と映像を見ることができます。
http://www.nissan.co.jp/MUSEUM/SKYLINE/index.html

スカイラインの神様と称される櫻井眞一郎氏は、昭和27年、のちに日産自動車と合併するプリンス自動車工業に入社。1957年(昭和32年)4月に発表される初代スカイラインの設計開発に携わり、以後7代目スカイラインまで主査として中心的役割を担います。

「初代スカイラインは、飛行機野郎がつくった凝りに凝ったクルマだった。その初代は当時のグロリアへつながり、走りに満足できるファミリーカーを目指して開発したのが2代目。スカイラインのルーツでいえば、2代目が初代といえるかもしれない」と櫻井氏。

神様の中では初代だという2代目S50系は、1963年(昭和38年)9月に登場。同年、日本のモータースポーツの幕開けである第1回日本グランプリが開催されます。プリンスはグロリアとスカイラインでレースに挑みましたが惨敗。

レースの結果が販売に結びつくことを知った自動車メーカーは、レースに勝てるクルマづくりを意識するようになります。

第2回日本グランプリに勝つために、グロリアスーパー6用の6気筒G7エンジンを搭載したスカイラインGT(S54)を開発、100台販売します。

櫻井氏はこのときの秘話を披露していました。狭いボンネットに6気筒を納めるため、無理矢理伸ばしたボディ。時間が無くて徹夜のトッカン作業をした結果、実際に走らせると曲がらない、足がバタつくなど、それはスゴイ代物に。テスト走行をしながらエンジニアが現場で修正していったような、まさに技術屋冥利に尽きるお話でした。

ライバル車のレースタイムなどから、スカイラインGTの勝利は確実だったとか。なんと前祝いまでしたらしいですが、それを察知したのか直前になってポルシェ904GTが参加表明。レースでは名勝負を演じたものの、まさかの2位敗退。

これにキレた櫻井氏は、ポルシェに勝つための本格的なレーシングマシン、プリンスR380を開発。1966年(昭和41年)5月に行われた第3回日本グランプリでは、念願叶ってプリンス勢の完全優勝

同年8月、プリンスと日産が合併。
 
1968年(昭和43年)7月に3代目スカイラインC10系、通称ハコスカを発表。合併後、日産として最初のスカイラインの誕生。

プリンスR380の心臓部、GR8型エンジンをベースにして開発されたのがS20型エンジンで、このユニットを積んで1969年(昭和44年)2月に登場したのが、初代GT-Rです。

直列6気筒DOHC、2リッター、160ps、当時の価格は150万円。

レースではなんと49連勝、通算58勝という快挙を成し遂げ、ここにGT-Rの不敗神話が生まれました。

真っ赤な初代GT-Rがスタジオに。ドライバーズシートに座る櫻井氏。「今、こうして乗ってみると、かなり違和感がある。どうしてこんなハンドルでいいと私は思ったんだろう。不思議です」とのこと。

細いステアリングはもちろん重ステ。当時試乗した星島氏は、「ハンドルに限らず、すべてが重かった」と話していました。

アリゲーターのボンネット。フロントが支点になりガラス側が開くタイプ。当時は逆アリゲーターにしておかないと何かの拍子にいきなりボンネットが開いてしまい、前が見えなくなったとか。今では考えられません。

スタジオに来たGT-Rのボンネットが開くと、うれしそうにエンジンルームを見入る星島氏と三本さん。オートメカニックのエンジン入門特集のイラストでしか見たことがなかった、ウェバー3連キャブレター。始動性が悪く、「エンジンをかけることが技術の一つだった」といいます。

しかも、交差点などでは常に吹かしていないと止まってしまうらしく、止まったら最後、すぐかからない。だからいつも「グワ~ングワ~ン」とやっていたらしいです。のちに、高性能エンジンとはグワ~ングワ~ンやるものだとこのクルマが教えてしまった。たいへん悪いことをした(笑)」と櫻井氏。

リアは板バネ。だから無造作に踏み込むと、お尻がウサギのようにピョコピョコ跳ねる。「クラッチ・リークが難しかった」と三本さん。これでデートはかなりキツそう。

1972年(昭和47年)9月に4代目スカイラインC110系、通称ケンメリを発表。オシャレなエクステリアですごく売れたらしい。

そして1973年(昭和48年)1月に、ケンメリGT-Rが登場。しかし当時、オイルショック排気ガス規制でグワ~ングワ~ンのGT-Rは姿を消す運命に。強化された排ガス規制に対応することができなかったケンメリGT-Rの生産台数は197台。幻のGT-Rと呼ばれているそうで、レースに出場することもありませんでした。

1977年(昭和52年)8月に5代目スカイラインC210系、通称ジャパンを発表。

1981年(昭和56年)8月に6代目スカイラインR30系、通称ニューマンスカイラインを発表。

1985年(昭和60年)8月に7代目スカイラインR31系、通称7thスカイラインを発表。

以上5代目から7代目まで、GT-Rは登場しません。

1966年生まれの私にとってスカイラインといえば、西部警察で渡哲也がショットガンをブッぱなしながら爆走するジャパンと呼ばれた5代目。

つまり私が憧れたスカイラインは、日本グランプリや富士グラチャンで見せた勇姿ではなく、渡哲也のグラサンとショットガンのマシーンXであり、最後にハデに爆破炎上するスカGターボでした。

そして時代は平成へ。1989年(平成元年)5月に8代目スカイラインR32系がデビュー。

同年8月、栄光のGT-Rが16年ぶりに復活します。直列6気筒DOHC、2.6リッター、ツインターボ、280ps、電子制御トルクスプリット4WD、スーパーハイキャス。

世界のスーパースポーツと互角にならび賞されたガンメタのモンスターは、日本のレースシーンで再びその勇姿を見せることに。遅ればせながらこのとき初めて「R」神話を知るのでした。

レースデビューは1990年3月、西日本サーキットで行われたオールジャパン・ツーリングカー300キロレースで、星野一義鈴木利男カルソニックが優勝。

同年の全日本ツーリングカーレースで全レースを制覇。翌年以降のグループAではなんと、29戦29勝、29戦予選1位。その後も全日本GTカー選手権で活躍し、通算62勝という、神話復活と賞賛するにふさわしい実績を残しました。

1993年(平成5年)2月にGT-R Vスペックを発売。BBSホイール、ブレーキはブレンボを装着。その後、1994年(平成6年)2月にBNR32の最終バージョンが発表されます。

1993年(平成5年)8月に9代目スカイラインR33系発表。

1995年(平成7年)1月にGT-Rフルモデルチェンジ。

1997年(平成9年)2月にGT-Rマイナーチェンジ。

1997年10月に40周年記念車を発売。100台の限定でGT-Rがイギリスへ輸出されました。グレードはVスペックのみで、価格は5万ポンド(約1050万円)。言うまでもなく、海外でも高く評価されているようです。

1997年12月にGT-Rオーテックバージョン発売。生産台数400台の希少車。

1998年(平成10年)5月に10代目スカイラインR34系発表。

1999年(平成11年)1月にGT-Rフルモデルチェンジ。

2000年(平成12年)8月にマイナーチェンジを行っています。GT-Rはリヤブレーキを大型化。カーボン・ボンネット新採用など。

今年5月にGT-R Mスペック追加。史上最強のGT-R。これこそ夢に見た本物のマシーンX。大門軍団の団長専用車にふさわしい。カルロス・ゴーン社長も絶賛で、Mスペックかどうか知りませんが現在の愛車はイケイケGT-R。価格は595万円なり。

そして今年6月に11代目スカイラインV35系発表。栄光のGT-Rはどうなっていくのか。その方向性はまだ見えていません。

一貫した主張があるからこそ、そこに歴史が生まれる。現在のMスペックと初代GT-Rは当然のようにまったく別物なわけですが、エンブレムは同じ。だからこそひとつの歴史としてその功績が語り継がれるし、私たちは知ることができます。

櫻井氏はスタジオに運ばれた初代GT-Rに付いている小さなホームベース形をしたシンボルを指差して、「このホームベースは、長細くなったり平べったくなったりしながらもずっと付けてきた。スカイラインアイデンティティなんですよ」とおっしゃいます。

時代背景に対応しながら、時に妥協し、時に批判されながらも、「スカイライン」を主張し続けてきた同氏。歴史はつくり出すものかもしれない、そんなふうに思いました。

「走りに満足できるファミリーカー」が、当初スカイラインの開発コンセプトでした。そこから博物館が一つできるほどの歴史が生まれた。

そして今、GT-Rとスカイラインは、もはや決別は仕方ないのかもしれない。櫻井氏が言っていた「GT-Rの位置づけはファミリースポーツから派生した最上位グレードである」という定義はずいぶん前から崩れています。

一般ユーザーが購入するスカイラインと、GT-Rはまったく別物。あまりにもかけ離れていて違和感すらありました。GT-Rがレースで培ったノウハウや技術が、我々のスカイラインにどのようにフィードバックされているのか、一般ユーザーに見えなくなっている。

主張はしてほしい。でもその主張は時代に合う違和感のないものにしてほしい。妥協せず、いつも最新技術を盛り込み、誰にも負けない、技術の日産にふさわしいクルマを今後も生み出してほしいです。

さて、今週の放送において協力を得たという「プリンス&スカイラインミュージアム・レッドパーク」。スカイラインの博物館です。櫻井眞一郎氏が名誉会長。場所は茨城県水海道市

スカイラインオーナーズクラブと街の協力を得て開館したという、まさにスカイラインファンのためのイケてるミュージアム。歴代のスカイラインが約60台展示。櫻井氏のプリンスR380も展示されているとか。興味のある方はぜひ足を運んではいかがでしょう。インターネットで検索しますと、長野県にも同様のミュージアムがあるようです。

(妄想)今週から野中さんを助手席に・・エッ!。いろんな意味でブーイングがありそうですが、実は小生も三清さんの記憶がかなり薄らいでおり、これからは明るくきれいな野中さんを毎週拝見&応援しながら、しぼんだ妄想力を更にアップさせていきたい所存です。

さっそくスタジオにあった真っ赤なGT-Rでデートしたかったのですが、星島氏の話しを聞いているとナンパな私が扱うにはちょっと辛そう。セレクトしたのはステレオが付いた現代のMスペック。

ちょっと無骨でガンダム系のエクステリアに、野中さんのキリッとした横顔がマッチ。マッチしていないのは軟弱ドライバーのほう。

初デート&初GT-Rでかなり緊張。ちょっとキツめな野中さんとハニーなトークを交わすにはどうしたらいいのだろう。来週からまたがんばりマス。

★次週の予定
ホンダ・インテグラ タイプR